50年半世紀、聖堂を支え続けたセメントの柱8本は迫害に耐えたシマの信仰そのもの

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献堂50周年

聖堂修復。聖心教会献堂50周年記念プロジェクト。帰省のたびに広がっていくかに見えたゆかの亀裂。聖堂本体を支える打ちっぱなしの頑丈な柱と床の接地面は乖離し、聖堂両袖に広く取られた外廊下は傾斜の度を増し、見るからに痛ましかった。「何とか歯止めを…」と主任司祭は危機感をつのらせたものの、総工費五千数百万という巨額に信徒ともども動揺を禁じ得なかった。何度も話し合いを重ねた結果実施を決意。ついに今年1月、地元業者の手によって着工、そして、昨日の竣工式となった。

聖堂再生

教区最大のみこころ教会

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新装なった聖堂はスッキリと整えられ、ステンドグラスは地味ながら新しくなった天井部分に映えて祈りの家にふさわしく文字通り天上の輝きを放っている。主任司祭はじめ施工業者がもっとも気を使ったのはあの大理石の立派な祭壇の移動だったという。何しろ故ケネディ大統領の葬儀が営まれたお御堂の祭壇と聞けば、元大統領を父に持つ元駐日米国大使でなくても訪れてみたいと思うに違いない。そんな由緒ある祭壇に万が一傷でも付けようものなら面子が立たない。会社の名誉にかけても万全を期する必要がある。綿密な計算と周到な手はずを整えた結果は大成功。祝賀会での話を聞くにつけ、主任司祭や社長さんの緊張と喜びのほどがうかがえて感動した。

天国からの祝詞

喜界島上空の入道雲

喜界島上空の入道雲

三段もの高さから平面に場所を移した祭壇は会衆の目線に近くなったようで、ミサ後、数名の信者達が間近で見ようとやってきては正面に彫られた受難のイエス様に触れていた。当時の社交的なルカ神父様が宣教師としての立場を存分に発揮して、アメリカ海軍を動かし、軍艦によって運んでもらうという快挙を成し遂げた。祭壇の荷揚げを見物したという1人の信者の話によると、荷揚げの際に軍艦が傾いたという。1300トンの軍艦と言えばかつての鹿児島航路のコウナン丸の1500トンよりも小さい。いずれにしても、どんな交渉をしたから軍艦となったのか経緯を知りたいとは思う。ともあれ、大統領も天国から祝詞を送ってくださるに違いない。

みんながハッピー

教区報年頭書簡を読まれた方のイメージ

教区報年頭書簡を読まれた方のイメージ

ところで、特筆すべきことは他にもあるが、照明は全てLEDに代えられたこともそのひとつ。担当者の話によると寿命8年。ひたすら祈りの家を照らし続けることになるわけで、当たり前と言えばそれまでだが、なんだか尊いことに思えてくるから不思議だ。ベンチを新品のようによみがえらせたのは信徒。尊いと言えば、建築ほど尊い仕事はない。先ず、家庭団らんのためのマイホーム建築。みんなが幸せになるための場を作ることは神様がお喜びになるという意味で尊い。そして、何よりも祈りの家としての教会建築はもっとも尊い仕事だ。修復と献堂は違うとしてもふさわしい祈りの場造りとしては同じ価値がある。そんな風に思うと設計施工照明すべてに携わった方々に思わず合掌礼拝だ。写真にある小鳥たちのようにみんながハッピーになる祈りの家を目指してほしい。

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