「司教の日」午前のテーマは「幕末・明治初期の信仰と教会–再興、苦難、そして新たな出発」

7人の元キリシタン

キミたちかわいいね❤️

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講師に川村信三神父さん(イエズス会)を迎えての勉強会はいわゆる浦上4番崩れを巡って2時間。書くべきことはたくさんあるが、目を引いたのはやはり鹿児島の375名のうち7人が変籍したという記録。変籍とは改心、つまり、信仰を捨てた人が残ってその地の戸籍に入ることだそうなので、少し残念。ともあれ、和歌山藩のように過酷な取り扱いをした藩がある一方で、鹿児島に流された人々は厚遇されたと何かの本で読んだ記憶があるが、福山藩に流された人々についても似たような記述があるという。

厚遇藩福山

配布された資料の一部を紹介したい。「福山の役人は比較的心がけの善良な方で、食物だけは無暗には削らなかった。女には四合、男には七合支給した。…灯油にせよ、木炭にせよ、不足なく給付した。…内職もするがよい、と許可してくれたので男子は網結を、女子は綿種の選り出しをやり、…二里三里の遠方にでも売り歩いたものだ」(浦川和三郎司教著『旅の話』)。この福山藩では1人が変籍。当時の浦上は貧しかったというから、鹿児島の7人にしても暮らしやすいと思ったのかもしれない。いずれにしても、明治6年(1873年)には浦上帰還が許されたのだからもう少し我慢して信仰を全うして欲しかったとは思う。

7人のその後

鹿児島は今大河ドラマせごどんで賑わっているが、あの7人も西郷さんを見たに違いない。それはともかく、その約20年後の1891年奄美にフェリエ神父様が来島されたので、鹿児島での宣教は始まっていたはず。あの7人が住むことにした鹿児島こそ日本最初の信仰発祥の地と知ったらどんな感想を持っただろうかと思う。西郷さんたちが新しい国づくりに奔走していた一方で、信仰を捨てたという苦い記憶から立ち直り、心機一転、7人の新しい信仰の歩みがひっそり始まっていたとしたらこれもドラマ。そんな小説を誰かが書いてくれるといいのだが。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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