香港といえば
30年も前の話になるが、幼稚園の先生たちとタイ東北の教区立聖ヨセフ学園訪問の旅をしたときのこと。行きは良い良いで楽しい旅だったが、帰りに香港に立ち寄ることにしたのがいけなかった。というのも、先生一同は難なくパスして入国を果たしたものの、ボクが捕まった。機内預かりとなったブリキ製の果物ナイフを受け取りにいったのが間違いだった。受取証を手に、指定された窓口に歩き出したと思ったら両脇から警察に挟まれ、そのまま取調室に連行。欧米人らしい先客が一人、大きなスーツケースを広げさせられていた。ボクはリュック一つだったので中をかき混ぜられただけで済んだが、とにかくここを出で待っているみんなにひと言伝えなければという思いだけが募った。その旨でまかせの英語でまくし立てたが無言のまま立ちふさがるだけで出してくれない。名刺を取り出し、「カトリックの神父である。嘘ではない。お願いします。」自分でもおかしなぐらいジタバタしたら、これまた不思議なことにヘンに落ち着きが戻って椅子に腰を下ろし「そのときはそのとき」と腹を据えたとたん呼び出しがあって窓口に連れていかれた。2,3人の男性が向こうからボクを伺っていた。例の果物ナイフを見せながら「どうして開けるんだ」と聞くので彼らの目の前でサッと一振りしたら刃が飛び出した。すると、「オーッ」と小さな歓声が起こり、「こんなもの持ち込めないので預かる。明日帰りに受け取りに来い」みたいなことを言われやっと解放された。1時間半後のドラマチックな再会は言を俟たない。翌日?誰が行くもんか!
カテドラル哀し
その後、カテドラルでミサを捧げた。ミサ後、「マリア様の心」を歌った。主任司祭が「すばらしいミサだった」と喜んでくれた。そんな香港での思い出が蘇るようなニュースが続く中での今日開いたカトリック新聞第2面の記事。祭壇の様子だけでは分からないが、こんな風な広々とした雰囲気は当時と似ているように感じた。そして、数年前、MEアジア会議で出会った二人の司教様や信徒の皆さんのことが思い起こされて胸が痛んだ。一線を越えなければ中国の教会は安泰だということを学んだ時だった。そして、「ホウレンソウを忠実に守ることの大事さも。説教での「意見」は控えて、というトン枢機卿の言葉こそが、中国教会の痛みを如実に示している。教会、つまり信者を守るために言いたいことも言わないのが最良の選択。MEの仲間たちと特に香港教区のために祈りたいと改めて思った記事だった。
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