宝探しの話
ご存じのように指宿は湯の町。近くの用水路を流れる水も温泉。特に冬場のこの季節はいつもより立ち上る湯煙が増している。そして教会にも温泉が引かれていて毎日の温泉タイムは至福の時。
どうでも良いことだけど、最近、毎日風呂の湯を入れ替えることにしている。しかし、50℃近い高温なのでお湯を張ってすぐには入れない。数時間前に給湯して冷ます必要がある。昨日はうっかりしてそれを忘れたものだから2時間ほど待つことに。
そこで座ったのがテレビの前。海底での宝探しの番組で、フロリダ沖で何十年も宝探しをしている一家の話だった。「もう止めよう」という家族の声も聞かずに父親は来る日も来る日もフロリダの海に潜り続け、とうとう莫大な価値のある400年前の銀貨、金貨をを探し当てたというものだった。
Today is The day!
これが、父親が潜るときの口癖だったという。直訳すれば”今日がその日”、つまり”今日が見つかる日なのさ”ということになる。
1978年にタイムスリップ
400年前には及ばないが、実は、この言葉初めてではない。1978年種子島に赴任したとき、司祭館に入ってまず目に飛び込んできたのが、正面の壁に貼られたこの英語のポスターだった。前任司祭はイタリア人で英語の上手な人だったので「さすが!」と感心したものだ。
それから、司祭館に入るたびに目にするようになったわけで、The day!の冠詞が大文字ということから自分なりに味わうようになっていった。つまり、「今日が主の日、今日が神が計らわれた日、今日が主との出会いの日、救いの日」などなど。
何かを始めたり、思うように行かなくなったときなど様々な場面で口にすることで、あるときは自分を鼓舞し、あるときは自分を慰めて「聖なるあきらめ」などと強がっていたものだ。こうしたことが、「それでも…」に昇華されたらしいというのは後で気がついたのだが。
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