誤ったのに謝らなかった
言葉遊びで笑い飛ばせない日本教育界の深刻な問題。何やら週刊誌のすっぱ抜き記事みたいになったが、今朝のデジタル朝日の記事に「またか!」と怒りが込み上げた。過ちを犯した本人は表に出ないで関係ない人が四人も最敬礼で謝っている。全く、甘ったれ日本!やっぱり「個人が成長していない国」との思いを深くした。
子どもの過ちを親が詫びるのは当たり前としても、大の大人が、しかも教育者が過ちを犯したら上司が謝る。学生が罪を犯したら学長が謝る。自己責任を言えば逃げていると非難される。やっぱりおかしいと思う。子どもの頃から個の概念があいまいなまま成長する農耕民族の哀しさと言えるかもしれない。
いつだったか、ひとりの女性活動家が人質になった時自己責任が盛んに言われた。自分で勝手にやったのだから放っておけと言わんばかりの雰囲気が日本を覆った。個人的に受けたバッシングもひどかったらしい。それでも、何年か後、彼女は活動を再開したという。個を貫いたのは素晴らしい。近況は知らないが頑張ってほしいと思う。
私という個人の価値や尊さについて息の長いもっと丁寧な教育が必要!でも、農耕民族のDNAでは無理カナ。これは幼稚園のクラスにある感覚教具の一つ。色の微妙な違いを観察して自分なりの造形を楽しむもの。きれいにできて嬉しいい!こうした繰り返しで自己価値が高まる。オシゴトを通して個が育つモンテッソーリ教育。農耕民族だからこそこれにかける価値はある。
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