想定外が想定外をもたらしたのはやはり子供時代の話

期待した積もる話もなかったものだから

一日日延べしたセイゴアニ訪問を決行。だが留守で不発。名刺をおいてあっさり引上げた。帰宅途中で電話で話したので良しとした。実は、心づもりがあったからだ。瀬留の共同墓地でブイジュ神父様に会いたかったのだ。神父様に倣ってベトナム行を決めたのでしたが、カクカクシカジカ島に帰ることになりました。」日本的に墓前に報告したいと思ったのだ。周りがいずれも立派に建て替えられているので、開発で取り残された古民家の風情。手つかずというのは過去が大切に保存されていてそれはそれでいい。

毎年7月11日の命日にはブイジュ祭が開催される。墓前の祈りの後、ロザリオを捧げながら教会まで歩く。神父様の胸像前で最後の一連を唱えてお御堂に入ってミサ。そして、会食にレクレーション。最後はいつものように六兆でお開き。高齢化で最近はどうしているか知らないが、今年は参加してみたい。

ここも思い出満載

目の前は、子どもの頃泳ぎを覚えた自然のプール。折からの干潮時。かつての記念碑ともいうべき石垣がくっきりと姿を現していた。当時はもっとしっかりしたものだったが、なにしろ70年もの時を経てすっかり細くなってしまっている。いまだに姿をとどめているのは奥深い龍郷湾の波静かな最深部のせいだ。満潮時を見計らってはよく出かけたものだ。カーブの先端が一番深くて、石垣に上がっての小さな飛び込みも楽しかった。

「コレーツ!チュヌイユバトウルナヨーツ!」(こらーっ!他人の魚を捕るでないっ!)。見張りに来たフクグリおばさんが大声で呼ばわったものだ。それというのも、引き潮の時には大きな潮だまりになって、フグやほかの魚が残っていた。獲った記憶はないが、追っかけて遊んだものだ。そこにあの声が。

それにしても、彼女の持ち物とは村のみんなが認めているようだったが、子供心にもしっくりこないものがあった。海にいるのはみんなのものではないのですか。今では誰に確かめようもない懐かしい思い出の一つ。

純白と赤い芯が印象的なイジュウの花

純白と赤い芯が印象的なイジュウの花

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