一日も早い復旧を
九州北部豪雨から一週間。今も避難生活を強いられている方々は約1900名。孤立地区は解消したものの行方が分からない人は20数名。1日も早い帰宅と発見を祈るばかりだ。
友達ボタン
そんな重たい現実の合間にというか、今朝配信された朝日ネット版で、思わず号泣してしまったほどに感動に胸振るわせた2つの記事に出会った。一つは、出所した男性の話題。彼が最初にしたのはスマホを手に入れること。そして、一人の女性に連絡を取ることだった。一人の女性と聞いて怪しげな話かと思いきやそうではなかった。20年前に分かれたわが子に会いたかったのだ。独特な名前だったので検索してみたらすぐに分かったという。恐る恐る「友達になる」ボタンを押した。しかし反応はなく、諦めかけたところに返事があった。
もしかしてお父さん?
「もしかして私のお父さん?」返事をするのももどかしく直接電話をしてひたすら謝った。そして、再会が実現。再会といっても、娘を抱いた記憶は一才の頃の一度きりだったがまぎれもない母親そっくりの我が子。新しいお父さんにたたかれた時母親は黙っていたという。その時、本当のお父さんがいてくれたらとどんなにか父親に会いたいと思ったことか。話を聞きながら父親はただ涙。今では二児の母親になっている娘をどれほど愛おしく思ったことか。誰かが作ったお話かもしれないとも思ったが、詳しい出所を確かめることは出来なかった。
親子の絆再び
もう一つの記事は、12歳でシンナーを覚えた少年の話。少年が18歳になった時だったか両親は蒸発。実は、少年の更生を願って意図的に姿を消したのだというが。そうとは知らない少年は両親を裏切り者と憎み、ますます悪の道に深入りし、15年後についに更生施設に収容された。そこで出会ったアル中のおじさんの薫陶?を受けて両親への怒りは収まり、施設のイベントに両親を招きたいと思うようになった。こうして、年に一度両親と会う約束をして更生に励んでいる毎日だという。以上2件は正確な記述ではないが大まかな筋はそんなもの。豪雨禍の中で未だつらい思いを強いられている皆さんの元気を願って分かち合わせていただいたつもりだが。
蛇足
人は神の似姿、これが聖書の人間観。どんな人の中にも神様に似たところがある。このことを奄美での次回のyoucatでもう一度話したいと思った。人を愛する心はどんな間違いを犯しても消えることはない。だから人は、どんな人でも愛される価値がある。そういえば、神さまのことを第一原因としたが、次回、放蕩息子を待つお父さんであることも話したい。立正佼成会の挨拶「仏性礼拝」も話したら、諸宗教への尊敬の念も広がるかもしれない。
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