タイのミサは典礼を超えて日常生活の姿そのものが反映された生活そのもの

4時半起床

ニラマイ教会の威容

にらマイ教会の威容

階下の物音も隣室から漏れてくるように感じるほど開放的な手作り家屋。5時半に起き出した時は階下のワット神父さんの部屋からは物音ひとつしない。「明日は4時半起き」と言っていたのでとっくに出かけたらしい。昨日の主日のミサも7時と早かったのでおそらく5時のミサだったのかもしれない。

土足厳禁

司祭館も聖堂同様綺麗なタイル張り床

司祭館も聖堂同様綺麗なタイル張り床

ミサといえばタイル張りの聖堂は土足厳禁。なのに多くの人が素足。中には頭を覆うジャケット姿の人もいるのでかなり寒いはずなのに、「冷たかろうに」と思わず身をすくめたくなった。素足といえば、先日、ワット神父さんが履物を脱いで店に入るのを見てさすがに違和感を覚えた。「床が汚れるから」と当たり前のように言うのには流石に反論した。「お客さんがサービスするのはおかしい。店の方がサービスすべき。」確かにピカピカのタイル張りの床は土足で上がるのは気が引けるのだが、お御堂でもあるまいに。失礼かもしれないが「土足厳禁」は、舗装が未整備のこの地方では実感がある。

拝聴すべきみ言葉

話をミサに戻そう。朗読の際は司祭をはじめ子供も大人も一斉に胸の前で手を合わせる。威儀を正して神のみことばを拝聴する心の姿に触れたようで感動した。個人的には、腕組みしたりリラックスして聴く傾向がある。考えてみると、典礼は非日常的なことだからミサの時の立ち振る舞いももう少しそれらしいものにすべきかもしれない。ともあれ、敬うべきを敬う子供の頃の素朴な故郷の人々が思われた。「鹿児島教区でもそうしよう」と呼びかけたら冷笑を買うだろうか。いずれにしても、み言葉は拝聴すべきことに変わりない。

「典礼上」日本の拘り

ミサ後の祝福は司教が来たからかと思ったが、復活祭など特別な時になさるとのこと。ミサは祝福をもって終わるので何度も願うというのは如何なものか。そうは言っても、日本では「典礼上」に拘り過ぎるように思えてならない。実際、年に何回かということだからメリハリのためにはいいのかもしれない。ミサ後、一息ついて11時ごろルイス大司教訪問。昼食に招かれ、新年だからと地元産のワインで乾杯。ほろ酔い気分で帰宅。ワット神父さんは夕方のミサに行ったので1人で夕食を済まして9時就寝。何だか疲れた日曜日となった。今日のこともたくさんあるが、明日はどこにも行かないということなので明日にしようと思う。

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