なんとか間に合った
初めての本格的なフィリピン巡礼。鹿児島教区司祭の叙階式に小規模な巡礼団を組んだことはあるが、全国的なものは初めて。つまり、マニラ大司教区のタグレ枢機卿がユスト高山右近の列福式に参列されたことを受けて、いわば、答礼の巡礼となったワケ。昨日2日は雪のせいで1時間半も遅れての出発だったが、現地時間4時半、右近が毎日通ったというゆかりの教会でのミサにはなんとか間に合った。成田のホテルで前泊しての出発だっただけに、さすがに疲れがひどく、9時半に就寝。
2月3日右近記念日
明けての今日3日は、列福後初めてとなる右近殉教記念日。11時、マニラカテドラルでのタグレ枢機卿司式のミサ。あの大きなカテドラルは日本からの巡礼者60名の他に現地滞在の邦人シスターはじめ多くの信徒で埋まった。枢機卿の説教は、わたしたちは苦しみそのものを喜びとするのではない。主の十字架が復活にいたる途上にあるという意味においてイエス様の十字架の苦しみに与ることを喜びとする。高山右近はまさにそういう意味でイエス様に倣った。私たちも、それぞれのくるしみを右近に倣って喜んで受け取っていこう。分かりやす語り口は人気ナンバーワンの枢機卿だけある。涙もろく、話しながら自分の話しに酔って?涙を流すのでも有名。因みに戦後、カテドラルの修復にと横浜の篤志家からセメント60,000袋が寄贈された。
タグレ枢機卿鹿児島に!?
ミサ後、近くのレストランでフィリピン観光局の局長さんや右近ゆかりの先生たちを迎えてのレセプション昼食。ドクターペドロは退官教授だが、キリシタン時代、ドミニコ会が甑島に持ってきたマリア様の御像についての正確な知識も豊富らしい。名刺をもらったので連絡を取り合うことに。連絡といえば、タグレ枢機卿の今年9月17日からの鹿児島でのMEアジア会議への招聘は秘書の神父さんと連絡を取り合うことになった。明日からローマ出張という超多忙の枢機卿の予定がうまく噛み合うといいのだが。今日のミサで、公式巡礼のお勤めが終わった。明日からはチョッピリ観光ムード。
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