光あれ!
かつての宣教地種子島、ミニ黙想会に呼ばれ、9時のミサ後1時間の話し。テーマは「混沌から秩序と調和へ」。大好きな創世記1章1節から3節。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。」読むたびに「そうだ、光があればなんとかなる」と思う。バビロン捕囚という文字通り混沌の時代、当時の人々も光がさすのを待っていたに違いない。
創造のスペクタクル
ともあれ、こうして光と闇が分けられ、大空と海が現れ、乾いた地も現れる。やがてや動植物が生じ、海も地も命あるものに満たされていく。形なき闇が次第に明確な形を帯びやがて色彩豊かな彩りに満ちた世界が現れていく一大スペクタクル。実は、この天地創造のお話は私たちの人生そのものと言っていい。解決策が見つからない人間関係のもつれ、気持ちの整理がつかない、気持ちが通じない、すれ違いが多い、こうしたことがらは、いわば、混沌。そうした中にあって誰かのちょっとした助言が道を開いてくれることもある。あるいは、時間と共に気持ちの持ち方が変わって好転に向かうということもある。そうそう、一番はっきりしているのは、お隣の保育園。新入園児で大騒ぎの4月はまさにカオス。しかし、今の時期子供たちは落ち着いて秩序感に満ちて平和。
秩序感満点
子供といえば、5年生以下4人、難しい話の1時間、物音1つ立てることもなく静か。まさに秩序感満点。終わりのお祈りが終わって、主任司祭からおやつの袋が渡された途端生気を吹き返した。あとは子供の時間。5年前とは規模は違うが今時にしては子供は多い方だ。ライスカレーのお昼の後は、寒風の中、遊びに興じていた。これも、教会の原風景だ。それにしても驚いたのは子供達の滑らかな日本語。もちろん、日本人なのだが、「近頃はみんなテレビの日本語を話す」のだという。鹿児島の子供たちのほうがずっとローカル。地方が消えていく?
ベテラン船長に感謝
帰りのトッピーは条件付き。「今頃の風は、台風ではなく季節風なので条件付きでもまず大丈夫。」地元の信者たちが言うのだからそうだとは思ったが明日は沖縄。引き返してもらっては困る。確かにかなりの時化。コースも東寄りに取って大隅半島の島影に身を寄せるように進んだ。横風を避けるためだったと思われる。そのまま佐多岬を抜けて真西に進路を取って開聞岳を正面にとらえ、中ほどで一気に錦江湾奥を目指すというもので、船長さんもかなり苦労しているようだった。それでも荒波の激しい抵抗に合いながら定刻通り帰着できて感動した。船長さんには会えたらお礼をしたいぐらいだった。
説教音声
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