梅雨明け前の豪雨に日本中が翻弄される中、昨日の奄美ミッションもも不発

出直しミッション

ブイジュ師胸像。瀬留教会。

ブイジュ師胸像。瀬留教会。

というわけで、5人の高校生達とのyoucatもキャンセル。迎えのドミンゴ神父さんや久し振りに語りたいと思っていた兄夫婦にもその旨連絡。カウンターには長蛇の列。1時間やそこらでは終わりそうにない。係の女性から「ご自宅でできます」と言って手渡されたパンフレットを手にバス停に急ぐと発車直前。帰ったら、早速、手続きを済まして翌日に備えた。

ついに発表

故郷の龍郷湾龍郷たつごう

故郷の龍郷湾龍郷たつごう

千円カットから帰ると、事務所では書記長が各小教区にファックスを流していた。いよいよ現実になったことでフツフツと喜びが増してきた。高校生達には申し訳なかったが、今後は、かなり自由になるので月一で行けるようにした。こんなにも素直に、信仰を学ぶ生徒たち会ったことがない。それだけに大事にしたい。明けての今朝。ミサで一斉に発表がなされたはずだが、きっと歓声が起こったことだろう。誰からも愛されるあの中野神父さん。みんな喜ぶはずだ。

後任は地元から

龍郷巡回教会。お色直しが必要。

龍郷巡回教会。お色直しが必要。

「くれぐれも教区内にいる司祭を!」とお願いしたのが功を奏したと言っていい。嬉しい限りだ。来週から司教総会が始まるが、もちろん彼も初参加となる。叙階式までは「被選司教」と呼ばれる。昨晩、早速「おめでとう🍾」の一報を入れた。どうでもいいことだが、今回のことで1つだけ密かに自慢していることがある。ジマン話しを聞いてもらいたい。75才になったら、バチカンに駐日大使を通してその旨手紙で知らせることになっている。昨年の8月20日、前晩に仕上げた手紙を夜明けとともに投函したものだ。「私には、海外宣教というもう一つの使命があります。鹿児島教区には後任者として相応しい司祭がいます。ですから、元気なうちにお願いします」という意味のことを書いた。

最速人事

前任者の強い勧めで聖堂みぎてに設置

前任者の強い勧めで聖堂みぎてに設置

2ヶ月ほど経った頃、「分かりました。後任が決まるまで続けてお励みください」という意味の返事が来た。問題はこのあと。通常、数年かかると言われている。さいたま教区は何年だったか、6、7年?そういう鹿児島も、前任司教さんの場合も3年ほど待たされたのではなかったか。それはそうと、後日、大使にお会いした時、「あなたは海外宣教に行くんだよね」と念を押されたので「そうです!早いほどいいんです!」とダメ押しをしたものだ。その時、「大使のお墨付きを貰った!」と実感。「よし!」との独り合点から1ヶ月後の昨年12月、福音宣教省長官フィロー二枢機卿が来日された時、九州の司教さん達の前で、「郡山司教と押川司教は間もなく後任が決まるでしょう」との発表に思わず小さくガッツポーズをしたものだ。しかし、ボクより2年も先に手紙を書き1年以上も待たされていた押川司教さんとしては、ボクの名前が先に出たものだから、「健次郎に先を越された!」と、内心、かなりうろたえたらしい。ともあれ、そんなドラマが絶えないのが後任選び。そして、今回の、大方の予想を裏切ってのドラマチックとも言える11ヶ月での最速人事。人の気持ちのわかる教皇に感謝。何よりも、駐日大使の誠心誠意のご努力にはことの外感謝したい。3時少し前、新装オープンしたばかりの奄美空港着。奄美の夏はやっぱり最高!6時半、墓参に続いてミサ。

 

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