突然の韓国ミションは飛ぶ鳥をも落とす勢いに満ちたインチョン教区

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叙階式でもこうした横断幕が登場する突然の訃報

突然の訃報に韓国中に衝撃が走った。29日、ビザの関係で一時帰国したフランシスコが、翌日の月曜日、つまり5月30日午後、「アイグー!大変です、大変です!」との緊急電話。ただでさえパニックになりやすい彼を待っていたのは、恩人ともいうべきインチョン教区の司教様急性の訃報。心臓発作だったという。葬儀ミサが2日の10:30というので、ミサ参列のことを司教館に伝えるように話し、急ぎ飛行機の手配をして、1日、あわただしくインチョンに向かった。

追悼ミサは24時間

迎えの車でカテドラルに向かい、3時のミサを共同司式した。聞くところによると、31日と6月1日の二日間、2時間おきに24時間追悼ミサが捧げられていて、着いた時間がたまたま何回目かのミサだったということが分かった。50万の信徒を擁する教司祭信徒全員がつけていた区のカテドラルとしては小ぶりで、2階の聖歌隊席まで一杯だったが、400名程だったという。「明日は千人ぐらいになる」ということだったが…。

謹弔のリボン

遺体の周囲には一本の花もなく、ひつぎを乗せる台の周囲が花でふちどりされているだけ。飾りは全くなく、通常のミサと全く変わりない。香典も聖職者の場合はないというので持ち帰りとなった。参加者全員が「謹弔」と書かれた小さな黒いリボンを胸につけていた。聖堂の正面と敷地入口には、司教様の顔写真入りの横断幕がいくつも掲げられていた。

ミサがすべて

当日3日の葬儀ミサは、全教区から駆け付けた引退司教を含む20数名の司教さんたちと300名ほどの教区司祭による共同司式。ほとんどの司祭は内陣から溢れ、信者席や外に溢れているようだった。告別の祈りの後は司式司教が聖水と香を使い、一人一人の献香はなく一斉に退場したのには少し面食らった。数が多いからだとは思うが。葬カテドラル全開儀社の人ががいるでもなく、最後のお別れもなく、お国柄というかあっさりしたものだった。ミサを捧げたのだからそれだけで十分ということなのかも知れないが、濃厚な葬儀になじんでいる身としては、正直物足りなかった。

鹿児島教区の恩人

ともあれ、司教様は、年齢の高い司祭志願者を快く受け入れてくださった。鹿児島教区の韓国人司祭や神学生が5人も誕生した教区の恩人。また、北の解放に供えて修道会を設立したり、信者の医師が欲しいと医学部のある国立大学を買収したりと常に斬新な発想と行動力で教区を引っ張ってこられた。まだまだ若い享年68歳。

安らかに…

親愛なるボニファチオ司教さん、お疲れさんでした。御父の懐でゆっくりお休みください。鹿児島教区のためこれからもよろしくお願いいたします。

7:00、イエスの御心の大祝日ミサ。約20名。啓蒙不足は当局の落ち度。説教音声

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