信徒であり神父さんであっても「口だけの信仰」のそしりを免れるものではない

愛は全てを変える

野菜果物が豊富な朝食

野菜果物が豊富な朝食

今日は9月8日マリア様の誕生日。朝の祈りの後、マリア様の名前を貰う6名が前に招かれて「HappyFeastDayToYou!」がハッピーバースデーのメロディーに乗せられて歌われ祝福を受けた。そして、42回目となるアジア会議は初開催地の中国で早5日目。ところで、「愛は全てを変える」というテーマのもとで進められた養成プログラムのその1は、「秘跡の中で神様の愛を見出す」。司祭は司祭として叙階の秘跡を通して、夫婦は夫婦として婚姻の秘跡を通して神様の愛を生きることが求められている。

口だけの信仰

Religion of Saying 初めて耳にする言葉だが「言葉だけの信仰」という意味で耳がいたい。「うちの神父さんは『寄り添う』とよく口にされるが、私たち信者にもっと寄り添って欲しい。」こんな風に足元をすくわれかねないから、人のことだと思って油断してはいけない。「みんな神様の子供。誰も排除されることのない教会でないといけない。」司祭の立派な言葉にうなづく人は多いに違いない。しかし、次の話を聞いて欲しい。

ルベン君のこと

5日ぶりの太陽6時10分

5日ぶりの太陽6時10分

ルベン君は知的障害を持つ青年。聖木曜日の最後の晩餐の記念のミサで、イエス様が12名の弟子の足を洗われたように司祭が信徒の足を洗う習慣がある。教会大好きのルベン君ももちろんその1人になりたい。しかし、周りの様子がよくつかめないルベン君が入ることでせっかくの式がぶち壊しにならないか誰もが心配した。しかし、主任司祭は「当然自分も選ばれるもの」と終始満面の笑みで指名を待っているルベン君を無下に断ることもできず、12名の1人に加えることにした。

足を洗ったルベン君

司祭は説教で洗足式が愛のわざであること、「だから皆さんもイエス様に倣って『互いに足を洗い合わなければならない』(ヨハネ13.14)」と話して洗足式に臨んだ。最後の1人ルベン君が満面の笑みで足を洗ってもらったのはいうまでもない。満足した彼は何を思ったか、今しがた司祭が使ったタオルと水差しを手にやはり満面の笑みで席を立って会衆席に向かった。何が起こったと思うか。司祭の質問に会場は沈默。…「彼が向かったのは、やはり満面の笑みの母親でした。そして身をかがめて母親の足を洗ったのでした。母親は終始満面の笑み。彼女もも知的障害者でした。」

 

 

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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