五島ミッション終了。帰還の今日は昨日の悪天候とは打って変わって春うらら

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驚きを通り越して

昨晩は、前信徒総代のご夫婦をお迎えしての民宿での会食。これでもか、とばかりに次々運ばれるご馳走に驚いた。たっぷりの天ぷらに茶碗蒸しとおひたしにたっぷりの刺身、これだけでボクには十分だというのに、こぶりとはいえ10カンもの寿司に豚の角煮、スズキの塩焼き、ドンブリほどの器に盛られたカボチャその他の野菜の煮物。ボクには拷問に等しかった。しまいには、驚きを通り越して腹が立ってしまった。あえて、寿司と大盛りの煮物は手つかずで無言の抗議。もちろん完食した人は誰もいなかった。当たり前だ。それにしても、設定した主任司祭には申し訳ないが、接待を受けて腹を立てたのは初めてだ。大量のサービスで有名なのだというのだが…。笑って済ませる話ではないと思うのだが、ご婦人方には大人気だとか。ともあれ、手つかずの二品はどうなったのかふと気になった。

30数年ぶりのお礼

約38年ぶりの再会

約38年ぶりの再会

「あの神父様 には種子島で会ったことがある。ミサも3回受けた。」会食の半ば、同席の元信徒総代が話された。黙想会が終わった昨晩、そう話した信者がいたという。かつての漁労長だと聞いて「ピン!」ときた。というのも、当時、確かに、五島から種子島近海に漁船団が来ていた。中には、信者だけの船団もあって、お告げの祈りの先唱をしたり、ミサへと促したり、皆から「神父さん」と呼ばれている漁労長がいることも聞いていた。だから、「漁労長]と聞いただけで「ピン!」ときたのだ。そして上陸するたびに取れたての魚をバケツ一杯持ってきてくれたものだ。だから、お会いして是非お礼がしたいと思ったのだった。約38数年ぶり再会と魚のお礼。ドラマチックだ。85才の元漁労長は矍鑠(かくしゃく)として若々しかった。娘さんの一人はシスターでドクター、男の子の一人は司祭。さすが、「神父さん」の信仰の証。めったにしない記念撮影を願ってシスターに撮ってもらった。

玉之浦椿

玉之浦で偶然見つかった

昭和22年玉之浦で偶然見つかった

7日の福江空港→貝津教会のタクシー運転手が40分ほどの道中、玉之浦椿について講釈してくれた。花びらに白い筋が入るのが特徴。どこかで一本1000円ほどで手に入るとも。是非買って帰りたかったがかなわなかった。せめて見たいと思ったが、それもどうやら空振り。ついに、玉之浦椿は幻の椿となったか。しかし、今朝、空港の駐車場に降りて荷物を肩にくるっと振り向くと、花びらの縁に白い線の入った椿の生け垣が目に飛び込んだ。「玉之浦椿だ!これじゃないのか!玉之浦椿というのは!」興奮して声をあげた。主任司祭は驚いた様子もなく、「ああ、それです。」今が見頃だという。何ともラッキーだった。昨日の荒れ模様が嘘のような、からりと晴れ上がった青空のプレゼントと相まって神に感謝。

 

 

 

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