実録宣教史 カトリック琉球列島ミッション 宣教師たちの手紙

同じ頃に引退した同郷出身の司教さんから分厚い本が届いた

表題が本のタイトル。表紙には「カプチン会来島75周年記念版ーカトリック区那覇教区」とある。全16章585頁に及ぶ大作。4年間にわたる翻訳作業は大変だったと思う。ともあれ、子どもの頃出会ったオーバン神父さんはじめフェリクス神父さん(後の那覇教区初代司教)との再会は紙上とはいえ懐かしく読み始めたら止まらない。

宣教師たちとの思い出が蘇った

宣教師たちとの思い出が蘇った

まもなく沖縄やグアムに移動し、コンベツアル・フランシスコ会と交代したが、当時は知る由もなかったいきさつが詳細に述べられていて60年ほど経ってようやく納得した。実録とあるように、本国に送った宣教日誌や母親への手紙など、残された生資料が全て翻訳されているので、まるで映画のストーリーをたどるようで楽しい。

司祭たちとの思い出は多い。ミサ中侍者の奉仕もした。当時は、対面ではなくいわゆる背面ミサ。つまり、司祭が会衆と向き合うのは「主は皆さんと共に」と挨拶を促すときだけ。しかもラテン語。「また司祭と共に」と答えるのは侍者だけ。会衆を代表しているようなもので得意になって答えたものだ。

しかし、左右に跪いている侍者同士目配せしたりふざけたりすることもしばしばだった。気配を感じた司祭が突然祈りを中断して振り向きざまあの青い目でギョロッと睨みつけるので思わず震え上がったものだ。こんなこともあった。みんなで遊んでいると主任司祭が突然現われて一人を「グイッ」と抱えておしりを「パンパン」とやった。

予期しないお仕置きに動転した彼の姿は,申し訳ないが、思い出すだに吹き出してしまう。「バアちゃんバアちゃん!」大泣きしながら走って帰ってしまった。母親もいたのに何故「バアちゃん!」だったのかは謎だが、確かに同居していた「バアちゃん」は怖い感じの人だった。助けを求めるのは頼もしい存在だったに違いない。

それはそうと、主任司祭の突然の暴挙も未だに謎だが、実は彼が女の子たちに悪ふざけをしているのをいじめているものと勘違いしたのかもしれない。何よりも、ひげそりの途中だったらしく白い石けんの泡を半分残していたのが可笑しかった。そういえば、酔っ払いの小父さん取っ組み合いの喧嘩をした神父さんもいたなあ。

あ、また話が横道にそれた。次回から、宣教日誌に戻るとしよう。

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